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MSXの変遷




MSXは1983年に生まれました。「誰でも使えるコンピュータ」という コンセプトでアスキーが提唱し、松下電器、ソニー、三洋、ビクター、三菱、 パイオニア、ヤマハ、カシオ、富士通、東芝、日立、ゼネラル、キャノンが 共通仕様の、このMSXコンピュータを製作し販売しました。

MSXはゲーム専用機(ゲームカセット使用)とパソコンの両方の機能を持って いました。価格は低価格のゲーム専用機と、高価格なパソコンの中間に位置 する価格設定でした。 このため、ゲーム専用機ではできない、少し変わったことを行いたい人たちに、 高価なパソコンを買わなくてもMSXで行うことができ、廉価なコンピュータ として人気を博しました。

そして、MSXはその後、ヤマハとアスキーで新しいVDP(Video Display processor) のLSIの開発が行われ、MSX2が登場しました。またこれと並行して、 MSX-DOS(MS-DOSと同様の機能)のOSが開発され装備されるようになりました。

その後、更にVDPの性能向上が行われ、新しいVDPが搭載されたMSX2+も 登場しました。

また、総合的な処理速度向上のため、高速のCPUのRISCチップの開発が なされ、MSXturboRが登場しました。

MSXは、MSXturboRのころになると音や映像の性能が向上し、本当にいろいろなことを 楽しむことができるコンピュータに育ち上がりました。この当時のユーザー誌には、 自作の音楽やCG画の投稿、また、Basic言語によって作られた自作ゲームの投稿が、 とても多く掲載されました。

このようにMSXはクリエート感覚を持った多くの人たちに愛用されました。 そして、これらのユーザーとの情報交流を、専門誌であるMSXマガジン、MSXファンなどが 行いMSXを大きく盛り上げる役割を果たしました。 また、多くのゲームソフト製作会社や、沢山の同人ソフトの登場により、それらの後押しを受けて MSXは更に発展しました。

そして、同人ソフトは日本国内だけに留まらずオランダ、韓国、ブラジルなど海外でも沢山 生まれました。そして同人ソフトどうしの交流も活発に行われました。 そんな同人ソフトのなかには、自らMSXの機能を強化しようと、ゲーム用のカートリッジ スロットを経由する方式による、SCSIインターフェースを作り上げるところも現れました。 そして、ハードディスクなどを接続できるまでになりました。

MSXは1992年に最終機の生産が終了しました。最終機は Panasonic の A1-GT です。 そして、MSXは1995年ごろになると、新品の商品として店頭で見かけることはできなく なりました。

MSXが生まれた当時は、現在にくらべ、まだパソコンもそれほどの高機能なもではなく パソコンとしての方向性(コンセプト)も明確なものではありませんでした。 こんな時代に生まれたMSXは、最盛期の約10年ほどを各種のコンピュータと切磋琢磨し ながら走りぬいてきました。 MSXは少なからず、以後のパソコンの基礎になったことも事実です。そして、MSXと いうハードだけではなく、ソフト面ではMSXに関わった多くのゲームソフトクリエーター たちは、その後、新しい環境で活躍していることでしょう。





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