私が小さい頃、我が家にラジオがありました。
テレビは未だ普及していない時代でした。
真空管のラジオで、スイッチを入れると30秒くらいして音が鳴り出します。
親からは温まらないと鳴らないんだと教えられました。
その時は何が温まらないといけないのか理由は分かりませんでした。
音が鳴るというのは、大変なんだなと思っていました。
そのころは、私を含め乱暴な盛りの子供たちでしたので、ラジオにぶつかって壊さないように、
親は鴨居の上に棚を作り、そこへラジオを大切に置いていました。
家には神棚はありませんでしたが、神棚と同じような鴨居のところに置いてありましたので、
ラジオは神様のように大事なものだったのでしょうね。
神様と同じような天井から流れてくるラジオの音を聴いて楽しんでいました。
思い出に残っているのは朗読の番組です。本を読み聞かせてくれる感覚でした。
当時は室内照明が今のように明るくなく、夜の番組でしたので、
薄暗い中で、その朗読に没入し想像を膨らませて聴いていました。
小学生のころに、子供でも作れるゲルマニウムラジオのキットが流行り、それを買ってもらい
作った記憶があります。
まず、音が鳴ることに驚きましたが、更に電池がなくても、ただで聞こえるというのが
子供心に嬉しかったです。
当時としては、安価で簡単な装置で空中を飛んでくる電波を捉えて、それを音にして受けとるというのは、
大変驚きでした。
当時は高度経済成長が加速しだした時期で、年々、経済や技術が発展して企業も元気がありました。
そのような中で、テレビが普及しだしました。
テレビも未だ真空管で作られていました。もちろん、カラーではなく白黒でした。
1964年の東京オリンピックを、この白黒画面で見た記憶があります。
澄み渡った青空の下、国立競技場での入場行進が印象的でした。
また、バレーボールの東洋の魔女も日本人全員が皆で応援しました。
テレビを見るようになってくると、いつしかラジオは忘れ去られ鴨居の上でホコリと一緒に寝ている
ようになりました。
このような状況でしたので、親に話してラジオを貰うことにしました。
貰うということは、好きにしても良いということなので、まずは中がどうなっているのか
知りたくなり、中を開けて分解をしてみました。しかし、見ても分かりませんでした。
諦めて、また元の状態に組立てて音がでるか確認をしました。
そして、分解してまた組立してを何回か繰り返しているうちに、ラジオは帰らぬものになりました。
このように子供のころに生活を共にしたラジオですので、今思うと懐かしさを感じるように
なりました。
あのときから何十年か経った今では、電子回路の勉強もして少し電気や電子のことが
理解できるようになってきました。
子供のころ、分からずに通り過ぎてきたラジオについて、もう一度トライしてみたくなり、
今回、色々なラジオを作ってみました。
そして、ラジオに関係する内容をここにてまとめてみました。
■ 真空管ラジオの一例です。
クラリコンというメーカーのものです。
アンテナなしで、とても良く聴こえます。
電源は家庭用コンセントの100Vです。
■ ゲルマニウムラジオの一例です。
この工作キットは、現在、シャンテック
電子というところから販売されているもの
です。
昔、私が小学生のときに作ったゲルマラジオ
は、ポケットに入るような大きさの、綺麗な
ラジオケースに入っているものでした。
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